怒り、諸行無常、こだわり
怒りは、相手をコントロールするための手段として生まれた反応だと考えられる。
縄文時代とかはそれでも良かったのかもしれないが、その機能が残されたまま現代になってしもた。
言い換えると、自分の思うようにいかないことで怒りが生じる。
怒れば自分の思うようになる……ということは実際は少ないのに。むしろデメリットが大きすぎるのに。
もしそうなら、取るべきアプローチとしては「自分の思い通り、にこだわらないこと」だと思われる。
大昔にブッダとかいう人は「諸行は無常である」と説いた。
同じく大昔にヘラクレイトスとかいう人は「万物は流転する」と説いた。
現実のあらゆる物事は変わりゆく、ということらしい。
結局「自分の思い通り」にこだわろうが、現実はそれに合わせてくれない……という仕様になっている模様。
だから、自分の思い通りにこだわるより、変わりゆく現実を認めていくことの方が合理的であるように思える。
それを本当に実践できるなら、イライラしたりすることは無くなるような気がする。
けどまぁ、自分の思いにこだわらないというのは、簡単なことではないんやな。
それは「自分の思いを持たないこと」とも違うし、「誰かの思いに合わせること」とも違う。
自分の思いがありながら、それにとらわれず、現実を見据えるということは、どう可能なのか。