人が人を知らないという事実

よくよく考えると、声もただの音だし、目に見えるものはただの映像だし、文字はただの記号である。

にも関わらず、それらに感動したり怒ったり楽しくなったりする。当たり前のようで不思議でもある。

 

人はそういう視覚とか聴覚とかのデータをほぼ自動的に「意味」に変換している。

そして意味によってはこれまたほぼ自動的に「感情」などが生まれる。

 

この「ほぼ自動的」な部分が自制できれば、無駄に悩んだり落ち込んだりイライラしたりすることも減らせそうなもんだが。

そのための方法はあるようなないような、なにかいえるほど知ってるとはまだ思えない。

 

そういう、人というものの機能がほぼ分からないまま生きていくもんだというのもまた不思議だ。