海外から見て「日本の空気を読む」という文化どう理解されているのだろうか

日本の「空気を読む文化」について書いてある記事があったが、その内容がいい加減すぎるのでここに日本語で書く。

 

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日本のある教団では「空気を読む」ということを非常に重視している。「空気が読めない」者はその教団内から圧力を受ける。

空気とはもちろん酸素、窒素などから成る気体であり、そこから何かを読むということは物理的には不可能である(読むためには文字が必要であるが、空気に文字は含まれていない)が、これがある種の合言葉、そして戒律となっているようだ。

「空気」という言葉に象徴されるように、この教団は非常に大規模でありながらその教団名を明かさない。またメンバーが自ら教団員であることを名乗ることもない。

 

通常、「空気を読めない」とはどういうことなのか、明文化されることもない。そのため「空気を読めない」ことを行なってしまった時に「空気読めよ」などと圧力を受けることで、初めて分かるのである。つまり新参者であるほど上位の者に叱責されるというシステムで教団の構造を強めている。

また叱責の言葉は他にも「普通は……」から始まる形式もある。当然、「普通とは何における普通のことか?」などと問うことは許されない。

 

今回我々は実際にその教団と思しきグループへ接触することで、具体的なルールをいくつか発見した。

以下にその詳細を記す。

 

〈開始時間に遅れず、終了時間を無視する〉

例えば会議では、開始時点には1分の遅れも許されないが、終了時間については予定を無視して続けることが必須となっている。理由については不明である。

 

〈基本、正論や異論を唱えてはいけない〉

あるグループ内で会話が行われている時、正論や異論は推奨されない。どうしてもそれらを言う必要がある場合は、直接的ではなく、仄かに匂わすように伝える技術が求められる。

これにより教義を疑わないように仕向けているものと思われる。

 

〈しかし議論によっては否定が推奨される〉

一つ前の例と反して、例えばアイデア出しの会議などの場面においては、基本否定をしなければならない。

これにより創造的な思考に歯止めをかけ、教義への信仰を強めているものと思われる。

 

〈努力は外面的に必要であるが、生産性は低くする必要がある〉

この教団における努力とは「肉体的、時間的に自分を長く拘束し、団体のために捧げる」ことである。そのため、何か課題があってもそれを生産的に、効率的に完了させることは推奨されないどころか、時には罰を与えられる。

つまり「成果を出すこと」よりも「教団への信仰を強めること」が重視されている。

 

我々の文化からすれば非合理的な仕組みではあるものの、これによりサムライ、ニンジャ、ツンデレなどの独特な職業を生み出す要因となっている可能性もある。

なお今回の調査では、あらゆる手を尽くしてもこれらの人物には接触することは叶わなかった。もしかすると、これらの人物こそがこの教団の上位に位置する存在であるため、容易に接触できないのかもしれない。

 

日本文化の多くはアニメによってその実態が明らかにされつつある(ネコミミ異世界転生、北斗神拳など)ものの、未だ謎多き国である。それ故に多くの人がアニメに夢中になるのであろう。

 

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原文:この記事